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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第1節 遠雷 [1]




 頭から紅茶を浴びせられ、それでも女性は拭う事もせずにひたすら詫びを口にする。その姿に、少女は声を荒げる。
「何度言ったらわかるのっ! これじゃあ渋過ぎて飲めないわ。あなた、(わたくし)の舌を馬鹿にしているのっ!」
「申し訳ございません」
「ちゃんと温度は測ったのっ?」
「はい、華恩(かのん)様のおっしゃられた通りに」
 だが華恩は相手の言葉など半分も聞かず、手にした空のカップを床へ放り投げた。見るからに格調高い絨毯の上に、カップがコロコロと転がる。
 割れなかったのが幸いだ。そんな事になれば掃除くらいでは済まないだろう。破片が落ちていては怪我をするなどと言って、それこそ絨毯をそっくり取替えなければならなくなる。不機嫌極まりない華恩なら、それくらいの事は言い出しかねない。
 そう、華恩は機嫌が悪い。
「もういいわ」
 自分よりもずっと年上であろう相手へ向かって、プイッと背を向けた。
「出て行きなさい」
「あの、では、午後のお茶は」
「出て行きなさいと言っているでしょうっ!」
 由緒正しき廿楽(つづら)家の令嬢とはとても思えない怒声。使用人の女性は慌てて一礼をした。そうして床に転がるカップを拾い上げ、急ぎ足で部屋を出て行く。
「まったく」
 華恩はベッドから降りるとドアに飛びつき、中から鍵を掛ける。だが、部屋の外でボソボソと囁く使用人の声に目を剥いた。
「こう毎日八つ当たりされてはたまらないわ」
「もうお体は治っておいでなのでしょう?」
「でも事情が事情ですもの。どの顔して学校へ通学してよいものやら」
 ダンッ!
 扉に拳をぶつける。一瞬にして広がる静寂。次にはバタバタと廊下を走り去る音。華恩は拳を握り締めたまま、歯軋りをした。
 誰もかれも、私を馬鹿にしてっ!
 煌びやかに装飾された窓の外はドンヨリと重い。遠くの空でゴロゴロと鈍い音がする。
 振り返る先には、色鮮やかな花束やら贈り物の積みあがった部屋の一角。華恩が自殺未遂を演じた当初は、それこそ部屋に入りきらぬほどの数だった。それが、今では部屋の一角を占める程度。
 一般常識的に考えればそれでも十分なのだろうが、華恩にとっては侮辱されているような気分。
 見舞いの数が減ってきたのは、唐渓(からたに)高校で新しい生徒会が発足した頃から。それによって華恩は副会長の座を退き、新しい二年生が引き継いだ。
 本来なら、引退した後も前役員として君臨し、実質的には卒業するまで生徒会を牛耳る。今までの役員もそうだったし、華恩もそうなるはずだった。
 少なくとも、唐渓に在校している間は私は最高権力者だ。そうでなくてはならない。
 だが今、華恩を慕って見舞いに訪れる者は減りつつある。華恩の後を引き継いで副会長になった二年の女子生徒ですら、一週間に一度程度となってしまった。
「新役員として何かと忙しいもので」
 しれっと答える態度が誇り高き女王の心を逆撫でる。
 あれほど可愛がってやったというのに。誰のお陰で副会長になれたと思っているのだっ!
 手近にあったクッションをベッドへ投げつける。
 なぜだ。なぜこんな事になった?
 目の裏に浮かぶのは、見目麗しい混血の少年。
山脇(やまわき)瑠駆真(るくま)
 転入当初から華恩が密かに想いを寄せていた年下の美少年。
 私の想いを受け入れない人間など、この世に存在するはずがない。
 そのような頑強な華恩の矜持に、容赦なく刃物を突きたてた少年。

「君のような傲慢で高飛車な人間は嫌いだ」
「その下心丸出しの色目はやめてくれ。気色悪い」

「この私を、気色悪いだなどとっ!」
 ベッドを平手で叩き、ギリギリと掛け布団握り締める。軽い、美鶴(みつる)など触れたこともないであろう最高級の羽毛布団。十一月も半ばを過ぎれば寒くもなる。冷えた外気から暖かく護ってくれる布団を、華恩は容赦なくベッドから引き摺りおろした。ベリッと、嫌な音がした。また一つ、使用人の仕事が増えた。
 山脇瑠駆真。よくもよくも、よくもこの私をこのような身に堕としめてくれたな。
 瑠駆真に振られ、突発的に自殺未遂を起こした。計算では、周囲の同情を味方につけて、瑠駆真を取り込むつもりであった。だが、アテは外れた。
 あの少年が、よもや中東の皇族だったなどとは、華恩でも想像はしていなかった。
 華恩の家は元財閥だ。今でも地元では逆らう者などそうはいない。両親をはじめ親類は政界や経済界、はたまた著名な文化人とも交流があり、影響力もある。新聞社や放送局、最近では若者が主な情報源としているネットワークの世界でも、縁故は多い。
 だが、王族では格が違う。しかも相手は、身分を隠してのお忍びと言うではないか。
「詳しい事情はわかりません。むしろ相手の事情がわからない以上、下手に事を荒立てて家名に傷でもつけては大変な事になります」
 当初は華恩の自殺未遂にベッタリと同情していた母親も、瑠駆真の素性が知れるやあっさりと(たなごころ)を返した。
 また一方で、華恩が失恋したという事実も唐渓の校内では広まっていた。

「華恩様、山脇くんに振られたらしいですわ」
「それでショックのあまり自殺などを?」
「もっとも、当て付けのようなものだと俺は聞いてるけどな」
「華恩様って、冷静で高貴なお方だと思ってたけど、意外と幼稚な人だったんだな」
「私、華恩様に憧れていましたのに。残念ですわ」

 そんな囁き声が沁み渡る校内を、どのような顔をして歩けばいい?
 華恩はもはや学校へ戻るタイミングを(いっ)してしまっていた。羨望や憧れの視線のみしか感じてこなかった彼女には耐え難い屈辱。あり得ない環境。
 有名私立大学への推薦入学が決まっている華恩は、あとは出席日数だけを満たしていれば問題はない。だから、無理をして好奇の視線に我が身を(さら)す必要はない。
 両親も、娘がそのような状況に晒されるのを好ましいとは思わなかった。校内で恥をかくよりかは、体調不良で世間から隠しておいた方が良い。
 そのような理由で自宅療養を続けている。
 華恩が学校へは復帰しないであろうという噂が、生徒の間に広がっていった。やがて、見舞いの品が目に見えて減った。両親との繋がりを考えて頻繁に見舞いに来るしたたかな存在もいるが、多くの生徒にとって華恩とは、生徒会を去り、学校へも来ない、所詮は過去の人。もはや媚びる必要など無いのだ。
「この私を虚仮(こけ)にしてっ!」







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